サーフィン

「サーフギアの選び方は“消える道具”が基準になる──ハイデガー哲学でわかる最強のギア選択」

サーフィンに欠かせない道具は多いです。サーフボード、ウエットスーツ、リーシュコード、水着、日焼け止め、サーフワックス、フィン、フィンを固定するねじ、それを締めるフィンキー……。

だが、私たちはそれらをどのような基準で選んでいるのでしょうか。「軽い」「かっこいい」「丈夫」。もちろん大切だと思います。ただ、もし道具を“ハイデガー的に”見つめ直してみたら、ギア選びは少し違うものになるかもしれません。

今回はハイデガー(Martin Heidegger, 1889-1976)の「道具的存在」という視点から、サーフギアを考えてみたいと思います。

 

1. 道具は“対象”ではなく、行為の流れに溶け込んでいる

私たちは、道具を使うときにその特徴を逐一観察し考えながら使うわけではありません。
例えば、ハンマーで釘を打つとき、重さや質感を意識してはいません。ただ“釘を打っている”だけです。

これは道具が行為の流れに埋め込まれ、背景として働いている状態です。ハイデガーはこれを 「手元在り(Zuhandenheit)」──道具的存在 と呼んでいます。

重要なのは、ハイデガーにとって 経験の基礎こそ、この“手元在り”にある という点です。私たちはまず、周囲のものを“使われるもの”として理解し、そこから世界が開けていきます。

 

2. 壊れたとき、道具は突然“対象”として姿を現す

しかし、ハンマーが壊れて釘が打てなくなると、状況は一変します。そのとき初めて、私たちは「ハンマーそのもの」を意識します。

ハイデガーは、こうした“前景化した道具”の現れ方を「眼前在り(Vorhandenheit)」──対象的存在 と呼びました。

普段の“第一の”現れ方=手元在り(道具的存在)、

壊れたときの“第二の”現れ方=眼前在り(対象的存在)。

道具は、うまく働くときほど私たちの意識から消えていくという考え方です。

 

3. 世界は「道具のネットワーク」として立ち現れる

ハンマーは釘のためにあり、釘は板のためにあり、板は家を建てるためにある。この目的と機能の連なりをハイデガーは 「道具連関(Verweisung)」 と呼んでいます。

この視点から見た、サーフボード、ウエットスーツ、リーシュ、ワックス、フィン。これらは、サーフィンという行為を支える道具連関の一部だと解釈することができます。

うまく機能しているとき、私たちはそれらを意識しません。波に向かってパドルし、テイクオフし、波に乗る。──その一連の動作の中に、道具は静かに溶け込んでいます。

 

リーシュが足に絡まる。ワックスが効かずに足元を滑らす。フィンをぶつけて折ってしまう。ウェットスーツが破れて、海水が入ってきてしまう、サーフボードが思うように動かない...。その瞬間、道具は一気に“眼前在り”となり、行為は中断されます。なので、良いサーフギアとは「意識にのぼらない道具」、言い換えると「消えてくれる道具」という考え方もできるかもしれません。

...ところで、時折、左の膝が痛みます。...これは道具?

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