サーフィン

その「頑張り」は何のため?

私は人よりも承認欲求が高いので、誤った「頑張り」を行いがちです。自分を必要以上に大きく見せたり、体や心に負担をかけてまで無理をすることがありました。自己肯定感が低いため、無意識に他者からの評価を求めてしまう傾向にあると思います。この自己肯定感の低さは、生まれつきの性格や幼少期の経験が影響しているかもしれません。望む結果にならないと自己嫌悪に陥ることがあります。

承認欲求が高いな、と認識したのは知人とのサーフィン中での出来事でした。その日、私は成長過程を見せようと焦りすぎたあまり、波の状況を見ずに自分の動作が先行してしまい、上手く波に乗ることができませんでした。いつものようにサーフィンを楽しめなかった原因は、承認欲求が前に出過ぎたことによるものだと解釈しています。この経験を通して、「人に見せたい自分がいる」ということに気づかされました。仲間とのサーフィンでは、外部からの刺激があります。それは、パフォーマンスを意識したり、意見交換をする中で、意識の向かう先が「人」になるということです。一方、サーフィンを単独で行うときは、自分なりの課題に集中できることで、標的が「自分」、もしくは「海」となります。

サーフィンによって自己肯定感が高まった側面もあります。なぜなら、サーフィンにおける挑戦によって、たまに小さな成功体験を味わい、充足感を得ることがあるからです。サーフィンでの取り組みと失敗の連続が、内発的動機づけにより、自己基準をもたらしてくれました。また、他者との比較ではなく、自然と向き合うスポーツであることも自己肯定感を高められた要因の1つだと思います。少しずつ自己肯定感が高まるにつれて、人から認められたいという気持ちが自然と和らいできました。サーフィンを始める前までは、人との比較や他人からの評価で自分の価値を測ることが多くありましたが、サーフィンを通じて、自分の承認欲求や自己肯定感に向き合えたことは大きな収穫でした。

私がサーフィンに抱く期待は、今まで出会えなかった自分と出会うことです。それは必ずしもサーフィン中だけの話ではありません。サーフィンを通じて、今まで出来なかったことができるようになったり、新しい考え方が生まれたり、サーフィンでの学びが日常に活かせたとき、深い喜びとなります。自己評価が行き過ぎると、過信や劣等感に苛まれ、サーフィンが独りよがりになります。仲間との交流が、成長のモチベーションにつながることもあるので、ときに承認欲求もプラスに働くと思います。大切なのは、(特定の)誰から認められたいのか、その対象を明確にすることが、承認欲求に振り回されないコツではないでしょうか。そして、自分自身が最大の承認者となることです。「頑張り」は最終的に「豊かな人生を送るため」のものであるべきだと思います。

-サーフィン

© 2025 Kabocha blog Powered by AFFINGER5