サーフィン

もののあわれ

以下、吉田兼好「徒然草」第七段の文章です。

命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮すほどだにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。住み果てぬ世に、みにくき姿を待ち得て、何かはせん。命長ければ辱多し。長くとも、四十に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。

そのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、人に出で交らはん事を思ひ、夕べの陽に子孫を愛して、栄ゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。

私はこの随筆から、

・人間は必ず死ぬ
・長く生きると辛いことも増える
・欲を追うと自然の移ろいに気づかなくなってしまう

と解釈しています。

海に身を置くと、朝日が水面にシルバーの光をきらめかせる瞬間に立ち会うことがあります。また一日の終わりには、夕陽がやさしく海をオレンジ色に染め上げていきます。その情景は、波に乗った記憶と同じくらい心に残り、自然の移ろいを静かに教えてくれます。私はサーフィンを通して、ただ技術や快楽を求めるのではなく、こうした光景も大切に受け止めていきたいです。日々変わりゆく海の表情とともに、自分の中の「もののあわれ」を、これからも丁寧に育てていきたいと思います。

吉田兼好(生没年不明・おおよそ1283年頃~1350年頃と推定)は、京都出身の僧侶/随筆家です。出家後は隠遁生活を送り、鎌倉末期から南北朝初期に『徒然草』を著しました。政治的記録は少ないですが、作品には当時の戦乱や社会へのさりげない批判が見られ、隠遁中も社会との関わりが完全に絶たれていなかったことがうかがえます。

 

 

 

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