サーフィン

巨人の肩の上に立つ

独学、自己流、型破り、セルフコーチング、常識を疑え、自分の頭で考えなさい…。言い回しは違えど、既成概念にとらわれず、自分の力で道を切り開くことは素晴らしい事です。深く考え、疑問を持ち、時にはあえて常識とは異なるアプローチを試みる。そうした挑戦こそが、停滞を打ち破り、創造的な解決策や革新的なアイデアを生み出す原動力となることは間違いないと思います。

ご存じの方も多いかと思いますが「巨人の肩の上に立つ("standing on the shoulders of giants")」という言葉を改めて掘り下げたいと思います。この「巨人の肩の上に立つ」という言葉は、12世紀のフランスの哲学者であるシャルトルのベルナールが最初に述べたそうです。さらに、17世紀に科学者ニュートンがこの言葉を引用したことで、多くの人に知られるようになりました。

この言葉は、”一人の人間が背丈の高さから見渡せる範囲は限られているが、巨人の肩の上に立てば、普通の人間であっても目の位置は巨人よりも高くなり、巨人よりも遠く広い範囲を見渡すことができる”、すなわち、巨人(偉大な研究者、科学研究の蓄積)の肩の上に立つと、山の向こうの「素敵なモノ」が見えるかもしれない、ということを示唆しています。

この言葉によって、私たちが手にしている知識や技術が、個人の努力だけで生まれたものではなく、過去の偉大な先人たちの築き上げてきた業績や知識の上にあって、その恩恵をいかに受けているか、と考え直すきっかけとなります。

ところで、私はサーフィンが好きです。心から楽しめていると思います。好きな理由を考えたのですが、それはサーフィンを通じてこれまでできなかったことができるようになり、学びを深めることで過去の自分よりも成長できたと実感する瞬間が喜びにつながっていることだと思います。

私は、さらにサーフィンを楽しむために必要なことは、波に乗る技術を向上させることだと考えました。自分なりに試行錯誤しましたが、どうしても技術向上の兆しは見えませんでした。そこで勇気を出してサーフコーチングを受けたところ、今まで上手くいかなかった原因が客観的に言語化されました。

そして、今までの自分の癖をフラットな状態に戻すことは大変だということも実感できました。指導者との対話の中で新たな発見もありました。ただ知識を詰め込むのではなく、使いこなせてはじめて価値を発揮し、理解の伴わない知識収集は、かえって混乱を招くことも痛感しました。人から教わることで技術的なブレイクスルーにつながったと実感しています。この経験を経て、「巨人の肩の上に立つ」とは素直さのことだと解釈するようになりました。

私の場合、人から教わることがプラスに作用しました。しかし、人から教わることが弊害になる人もいるでしょう。指導者との相性、本人の性格、現在のスキルレベル、そして教わるタイミングも影響します。そもそも誰から学ぶかという選択も問題です。

自らの意思で理想の指導者を探す努力が実を結ぶこともありますし、良い指導者との出会いは波のように偶発的かもしれません。誰かの力を借りることで才能を開花させる人もいれば、誰からの力も借りず、自分を最後まで信じ切ることが、その人にとっては後悔のない最善の道の可能性もあります。

先人の知恵を無碍にすることは愚かである。盲信もまた愚かである。
やはり、サーフィンのようにバランスを意識したいものです。

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