先日、湘南のリサイクルショップでバカラのロックグラス「カプリ」を見つけました。すでに廃盤となっているモデルで、以前からずっと探していました。
実際に手に取ってみると、期待以上でした。波を思わせる優雅な曲線が施されています。そのフォルムはまるで穏やかな海を閉じ込めたかのようです。氷をステアする音に、思わず耳を傾けてしまいます。カプリを手にすると、不思議と所作まで丁寧になります。
バカラのグラスは割れやすいです。クリスタルガラスには酸化鉛が含まれています。一般的なソーダガラスと比べると硬度はやや低く、強い衝撃には脆いです。バカラは圧倒的な輝きを手に入れる代わりに、傷つきやすさも孕んでいます。
海辺の砂にも似たようなものを感じます。砂に書いた文字。子どもがつくる砂の城。それらは波によっていずれ消え去ります。風が後押しすることもあります。創り上げているときは夢中でも、やがてその儚さを知ってからこそ輝きが増すかもしれません。
強固なものには安心感があります。しかし、脆いものには、それとは異なる輝きがあります。海岸にある流木は折れ、朽ち、風化し、波に傷つけられながら、それでも形を与えられていきます。
グラスが放つ輝きも、砂まじりの流木も、その背景に「脆さ」という事実があります。脆さは欠点ではなく、むしろ心を惹きつける星空のようなものなのかもしれません。
太宰治の「人間失格」は人間の脆さを徹底的に描いた作品です。そこに描かれる脆さは、生きづらさや孤独として受け取られることが多いと思います。
しかし、その根底には、一生懸命悩んだ先に、「どうすればよいのか、わからない」という切実な問いが潜んでいるようにも感じます。
脆さそのものが問題なのではなく、その脆さを誰にも打ち明けられず、一人で抱え込んでしまうことに問題があるのだと思います。
私たちは傷ついたり、間違ったり、失うことがあって、決して強さだけで生きているわけではありません。人間、誰もが不完全だと思います。脆さを抱えているからこそ、他者の痛みを思いやり、寄り添うことができるのだと思います。
人の魅力は完全な強さの中にあるのではなく、自らの脆さを受け入れながら生きる姿の中にこそ宿るのだと思います。脆さは弱さではありません。つまづいたっていいじゃないか、人間だもの。
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