サーフィン

汽水域という環境

エッシャー(Maurits Cornelis Escher,1898-1972)は、独創的な作品で知られる芸術家です。代表作「空と水」では、鳥と魚の対照的な要素が互いに変容し、意図的に境界線が曖昧にされています。この作品が境界の概念を問い直す「境界の曖昧さ」は、自然界に存在する「汽水域」を私に強く想起させました。

汽水域は、川から流れる淡水と海から入る海水が混ざり合う環境です。主に河口付近に形成され、潮の満ち引き、降水量、川からの流入量によって塩分濃度が常に大きく変化するのが特徴です。

この厳しくも特別な環境に適応できる生物は限られていますが、だからこそ汽水域ならではの固有種が独自の生態系を築いています。多様な生物にとって非常に重要な場所であり、特に多くの魚や貝類が育つことから、「海のゆりかご」とも称されます。

稚魚や幼生にとって、汽水域は天敵から身を守り、豊富な餌を得られる理想的な成長の場なのです。この豊かな生命力を求めて、世界中から多くの水鳥や渡り鳥が飛来します。

さらに、汽水域は自然のフィルターとしても重要な役割を担っています。川から運ばれてくる有機物や汚染物質は、汽水域に生息する植物や微生物によって巧みに分解・吸収され、海へ流れ込む水質を浄化します。

川と海の流れがぶつかることで砂が堆積し、複雑な地形が形成されることがあります。この独特な地形が良質な波を生み出すこともあり、サーファーにとっては魅力的なポイントとなるなど、人々のレクリエーション活動の場としても利用されています。このように、曖昧な環境であるからこそ、汽水域は変化に富み、豊かな生命を育む「海のゆりかご」として機能しているのです。

一方、社会における曖昧さは、しばしば誤解や不信感の温床となります。曖昧で支配的である発言や行動は、間違った解釈を生み、無用な摩擦や対立を招くことがあります。これは円滑な人間関係や集団の協力体制を阻害し、さらには意思決定の遅延や困難を引き起こしかねません。目標や役割が曖昧な状況では、個人や組織は方向性を見失い、行動に躊躇しがちです。

結果として、生産性の低下や機会損失に繋がり、特に迅速な判断が求められる危機的状況では致命的な結果を招く可能性もあります。
また、自分の立ち位置や評価が不明確であることは、個人のストレスや不安を増大させ、モチベーションの低下を引き起こす要因にもなります。

しかし、社会的曖昧さは負の側面ばかりではありません。むしろ、多くのポジティブな側面も持ち合わせています。まず、社会的曖昧さは組織や人間関係に適応性と柔軟性をもたらします。すべてを明確に定義しようとすると、これはこれでかえって不必要な摩擦を生むことがあります。

例えば、職場でタスク分担が厳密でない場合、状況に応じて互いに協力し合うことで、全体の生産性が向上するケースは少なくありません。明確な境界線がないことで、予期せぬ問題や変化にも融通が利きやすくなり、システム全体のレジリエンスが高まります。

また、曖昧さは創造性と協調性を促進する側面も持ちます。厳格なルールや役割分担は、個人の思考を制約し、枠に囚われた発想を生み出しがちです。ある程度の曖昧さは、人々が自ら考え、他者と対話し、解決策を探る機会を増やします。

イノベーションが生まれる現場では、しばしば明確な役割を超えた偶発的な交流や非公式な議論が重要な役割を果たします。責任の所在が完全に明確でない状況では、「私たち」の課題として捉え、積極的に関わろうとする心理が働くこともあります。

過度な明確化は弊害もあります。最も顕著なのは、組織の「サイロ化」の助長です。役割が厳密に定義されることで、各自が自分の領域に閉じこもり、部署間の連携や情報共有が滞る傾向が見られます。個々の部門が効率的であっても、組織全体としては非効率になるという現象が生じやすくなります。

さらに、責任の明確化はリスク回避行動や責任転嫁を促す可能性も指摘されます。問題発生時に厳密に責任が定義されていると、その範囲外の行動を避けたり、他者に責任を押し付けたりする誘因となりかねません。不確実な状況下で失敗を恐れるあまり、挑戦的な試みが阻害され、イノベーションが生まれにくくなることもあります。

このように、社会的曖昧さは、適応性、柔軟性、創造性、協調性を育む上で不可欠な要素であり、組織やコミュニティの健全な発展に寄与します。
責任分界点の過度な明確化は、サイロ化、リスク回避、責任転嫁といった弊害を生み出し、長期的な視点で見ると、全体の活力を損なう可能性があります。

もちろん、全く曖昧で良いというわけではありませんが、現代社会の複雑な課題に対応するためには、この適切なバランスを見つけることが極めて重要だと言えるでしょう。

サーフィンにおける汽水域は、水質が不安定で潮の流れが予測しにくいという危険性もあります。しかし、その曖昧な条件が整えば、通常のビーチブレイクとは異なるパワフルな三角波やチューブを生み出すことがあります。これはまさに、曖昧さの中にこそチャンスが潜んでいることを暗示しています。

私たちは、異なる価値観や視点が混じり合う「曖昧な境界」を恐れるのではなく、むしろそれを活かし、共存と創造性をデザインしていく視点を持つべきです。汽水域が示唆する「変容」と「共存」の力を、私たちは社会の波間で、能動的に探し出すことができるはずです。

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