先日、サーフィン中にクラゲに刺されました。この事により、考えさせられたことがあります。まず、クラゲのことを簡単に調べてみました。ゼリーのような体を持ち、海を漂うクラゲは、触手に備わる「刺胞」という毒針を使い、獲物を捕え、また己の身を守るそうです。私が刺されたのも、この毒針によるもので、独特な痛痒さに襲われました。クラゲは脳も心臓もないシンプルな構造ですが、その身一つで海洋生態系における独自の役割を果たしています。
世界には数千種類を超えるクラゲがいると言われています。姿形も千差万別です。透明で美しいクラゲの中には、ほとんど毒を持たないものもいれば、安全そうに見えて、実は強い毒を持つ種類もいます。例えば、「カツオノエボシ」は、美しい姿とは裏腹に、非常に強い毒性を持つことで知られています。潮回りや台風の影響で、大量に海岸に打ち上げられた状態でも、触手に残った刺胞は毒性を失っていない可能性があります。そのため、素手で触れるのは大変危険です。ただ、クラゲはハチやヘビのように積極的に人を襲うことはありません。クラゲに悪意はなく、ただ生きるための手段として、その強力な「毒」を持っているに過ぎません。
この攻撃性のない「毒」は、人間が痛みに気付ける、自然からの啓示だと思います。シンプルな痛みは普段意識することのない『生きている』という感覚を思い出させてくれます。クラゲに刺された瞬間や、刺された後に続く痒みは、まるで人間関係の距離感のように、予期せぬ摩擦や心の痛みに直面する瞬間、そしてその後の歯痒さに似ていると感じたのです。サーフィン中に自分の左腕が痺れただけでなく、クラゲも、この後捕食できなくなるのではないか、外敵から身を守れなくなるのではないか、つまり、何か自分から行動起こすとき、自分の心が傷むだけでなく、知らずのうちに人を傷つけてはいないか、と。しかし、自分が傷つくことを恐れて過ぎていては、最良の結果に近づくことはできません。人間は強い意志を持ちますが、ゆらゆらと漂い続けるクラゲから受けた「毒」のメッセージは、人との適切な距離感、そして自然や他者を慮ることでした。
ワクチンは微量の「毒」(病原体の一部)をあえて体内に取り込むことで、より大きな病気から身を守るという、まさに「毒を持って毒を制す」考え方に基づいています。クラゲの「毒」が、痛みと気づきを与えてくれるように、一般的または比喩的に「毒」と見なされるものも、私たちに現状を認識させ、内省を促し、そして自己改革へと導く「薬」となる側面があるのかもしれません。嫌いな人からの暴言や批判など、一時的な不快や刺激も状況や受け止め方によっては、長期的に見て、私たちを強くさせるかもしれません。