サーフィン

夢中と酔狂と依存の境

何かに夢中になった瞬間、それは強いインセンティブになります。
好きなことに没頭しているとき、人は世間の目や常識をほとんど気にしなくなります。

しかし、周囲の評価や社会的な常識を顧みなくなるという点では、例えば重度の薬物常習者にも似た状態が見られます。
それは「夢中」というより、むしろ「依存」に近い。

では、夢中と依存は何が違うのか。

私の考えでは、その違いは主体性にあります。
夢中とは、自らの意思で取り組んでいる状態。
一方の依存は、行為に支配され、自制を失っている状態です。

さらに「酔狂」という言葉もあります。
酔狂とは、本人は楽しんでいるが、周囲から見れば「そこまでやるのか」と思われる行為のことです。
つまり、酔狂かどうかは本人ではなく他人が判断する。

夢中、酔狂、依存。
その境界はときに曖昧ですが、こうして整理してみると、私にとってサーフィンはやはり「夢中」だったのだと思います。

「好きに理由はない」とよく言われます。
それでも、なぜ自分がサーフィンにのめり込んだのかを考えてみました。

一つ大きな理由があるとすれば、当時の私は辛い気持ちを抱えていて、どこかに救いを求めていたからだと思います。

サーフィンとの出会いは、決して前向きな挑戦ではありませんでした。
思い出づくりのような軽い気持ちと、辛い現実からの「逃げ」。
そんな追い詰められた状況のなかで、ふと芽生えたかすかな興味が始まりでした。

それからというもの、波を追いかける日々が続き、生活の中心は海へと向かいました。
振り返れば、何かに取り憑かれていたのかもしれません。

自分がサーフィンを「選んだ」のか、サーフィンに「選ばれた」のかはわかりませんが、
次第に私の中で、海は「逃げ場」から、主体的な「闘技場」へと変わっていきました。

海に入ると、不思議と悲しみが中和されていくような感覚がありました。

朝、出勤前のわずか15分のために海に入る。
定時きっかりに会社を出て、電車とタクシーを乗り継ぎ、日没前の15分を追いかける。
雪の降る中、凍えた手で震えながら、なかなか回らない玄関の鍵を開ける。
休日は気づけば海に12時間以上いた日もありました。

客観的に見れば、仕事とのバランスを欠いていた時期もあったと思います。
夢中になるあまり、人に不快な思いをさせたこともあったかもしれません。
人の話に、ゆっくり耳を傾けられなかった時期もあったかもしれません。

いまは少しだけ視野が広がり、そうした自分を省みることができます。

それでも、サーフィンを通して多くの失敗を重ねてきたからこそ、学びにつながっています。
あのときの「夢中」が、結果として自分を成長させてくれたのだと思います。

もし、心が満ち足りているときに出会っていたら、
おそらく、ひと夏のレジャーとして通り過ぎていたはずです。

ある意味「逃げた」ことによってサーフィンと巡り合ったとも表現できるかもしれません。

もう、サーフィンに対しては、感謝しかありません。

 

本記事は、ニコンビジョン×noteのコラボ企画「#私が夢中になるとき」への応募作品として執筆したものです。

 

 

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